2018/08/01
戦争のない幸せな日々が続くように
当時、私は東京の牛込区(現新宿区)の早稲田大学の近くに住んでいました。空襲が何度もあり、警報が鳴ったらいつでも避難できるようにと、枕元に水筒や防災頭巾、おにぎりを置いて寝ることが日常でした。学校に行く時も水筒、防災頭巾、救急袋をぶら下げて行ったのを覚えています。
昭和17年4月、通っていた小学校に焼夷弾が24発落とされ、屋上には大きな穴があきました。幸い、土曜日の午後だったこともあって罹災者はありませんでした。いつの空襲だったかは覚えていませんが、焼夷弾が落ちてくるところも見ました。斜めに落ちてきてどこに落ちてくるかわからず恐怖でした。
3月10日の大空襲は、自宅周辺では大きな被害はありませんでしたが、翌日、電車が動かなくなり、罹災者がぞろぞろと歩いていました。その後、父の判断で山梨へと疎開をしました。
疎開先での生活は大変厳しかったです。その後も7月に甲府の空襲があり、空が真っ赤になっていました。その明るさはまるで昼間のようでした。
私の住んでいた東京の自宅は、5月24日の空襲によって焼け落ちました。帰る場所をなくし、母の実家のある横須賀へ来ました。
上野で見た戦争孤児や、自宅近くに住んでいた子が、疎開先からひとりで帰ってきてしまい、泣きながら電柱にしがみついて、「もう戻りたくない」と泣きじゃくっていた光景が今も忘れられません。
戦争は本当に考えられないほど悲惨です。絶対にダメです。人びとが戦争を知らない幸せがずっと続くことを願っています。
横須賀市在住荒堀 里美