2019/09/18
見て、聞いて、感じてきたこと
原爆投下から74年。今年も長崎にて「原水爆禁止2019世界大会・長崎」が開催されました。核兵器の廃絶を求め、同大会は1955年の第1回から毎年、世界の人々と連帯して開催されてきました。2020年にはNPT再検討会議が開催され、世界はますます核兵器廃絶に向け大きな流れに発展しています。
医療生協からは、3人を代表派遣しました。参加者の感想を掲載いたします。
原水禁世界大会に参加して
長崎県で開催された原水爆禁止2019年世界大会に参加してきました。
今回の大会では延べ30人以上の人たちと個別に交流を行い、2日目の分散会ではマイクを持って質疑応答することができました。
被爆者の話を直接聞いたり、資料を見ることで原爆の悲惨さをあらためて感じ、大変有意義に学ぶことができた3日間でした。
なかでも特に印象的だったエピソードがあります。長崎へ向かう飛行機で出会った、親御さんに連れられた高校生ほどの参加者との会話です。高校生ほどの子の、「私には原爆なんて関係ない。手だけ合わせたらあとはテーマパークとか行きたい」という言葉を聞いて、正直残念な気持ちになりました。しかし、そういう人にこそ今回の旅は意味があるのだと思います。
入り口は親に連れられて参加の原水禁でも良い。現地で生の被爆体験を聞いたり、見たりすることで意識の変化が起きるのではないでしょうか。事実、帰りのバス待ちの集合場所で見たその子は、行きと違って神妙な面持ちになっていました。やはり経験は大切です。
空いた時間の観光目的でも良いと思いますので、原水禁や沖縄の活動に参加してみてください。きっと新しい視点が生まれると思いますよ。次はあなたの番ですよ。
デイサービスみうら 大高直樹
核兵器廃絶へ運動をひろげよう
朝7時に出発をして会場である長崎市民会館に到着したのが14時40分。会場はすでに参加者であふれかえり入れず、やむなく第2会場へ。大型スクリーンが設置され、世界各地の代表や被爆者、平和団体が次々に紹介され大きな拍手に包まれました。
2日目の9日は原爆投下74回目「原爆の日」です。猛暑の中、多彩なテーマの分科会が開かれ、私は動く分科会「被爆遺構めぐり」に参加。ガイドは長崎民医連の方でした。年齢差も体力差もある参加者を気遣い、木陰を見つけては小休憩、説明と大変お世話になりました。
浦上天主堂、平和公園、平和祈念像、原爆資料館などを案内していただきましたが、中でも私の心を捉えたのが「妃己堂」と名付けられ、畳2枚にわずかな廊下が付いた小さな建物が、医師でありながら「長崎の鐘」など多くの作目を出している永井博士の最後の居宅であったということでした。
最終日の閉会総会では、大会決議「長崎からのよびかけ」と特別決議「長崎からすべての国の政府への手紙」が採択をされました。
2020年には被爆75年NPT再検討会議(ニューヨーク)に向け、核兵器廃絶へ大きな運動のうねりを広げようと呼びかけられました。
有意義な3日間でした。送りだしてくださった仲間のみなさん、ありがとうございました。
三浦行政区理事 宮川初江
自分の目で見ることの大切さ
8月7日福岡空港から長崎に入り、原水禁世界大会開会式に臨んだ時、すでに会場の体育館は満席でした。日本全国から集まった参加者が、各国代表の語る「核兵器をなくせ」というメッセージに真剣に耳を傾けていました。
8月8日には被爆遺構めぐりの分科会に参加しました。東洋一と謳われながらほぼ跡形もなく破壊された浦上天主堂。美しく再建された建物の前の川辺には、爆風で吹き飛ばされた50トンもの重さの鐘楼が、今もそのまま地面に突き刺さっていました。
爆心地公園には一本の石柱が立っていましたが、この上空500メートルで原爆が爆発したそうです。平和ガイドの方が「この500メートルという数字を覚えていてください。それは原爆が最も効果的に街を、人を焼き尽くすと計算された高度だったのです。」と、怒りをこめて話してくれました。続けてガイドさんは「長崎の町はきれいでしょう。9日の前の日曜日に町中総出で清掃をします。長崎に暮らす人にとって9日はそれほど特別な日なのです。」と語られ、確かに道にも川にもごみ1つ落ちていませんでした。
人間は弱く、強い兵器を持てばそれを誇示し使いたくなるのは過去の出来事が教えてくれます。「戦争を他人事と思わず、自分のこととして考えること」、それが何より大切と感じました。自分の目で見て、耳で聞いて考えることの重みを知りました。
三崎西支部 中島菜穂子