平和特集-伝えたいこと 私の戦争体験記-2

2018/08/08

空襲で思い出の品てをすべ失い
私が空襲にあったのは、昭和20年3月15日、夜の7時か8時ごろだったと思います。
当時、麻布十番のはずれにある暗闇坂の近くに、両親と2人の弟と住んでいました。2つ上の兄は学童疎開をしていたので一緒には住んでいませんでした。3月15日以前の空襲警報では、自宅近くにあった防空壕へ避難していましたが、その日の空襲では六本木にあった練兵場へと避難しました。まだ幼かったので両親についていくことがやっとで、焼夷弾が落とされている場面などは見ていませんが、警報が鳴ったときに電球に黒布をかけ、あかりが漏れないようにしたことを覚えています。そして、二度と自宅に戻ることはありませんでした。
その後は母親の実家のある千葉県の本八幡や、父の実家である埼玉県の岩槻市などに疎開しました。岩槻では、周りの学生は農家の子どもが多かったのでお弁当に白米を食べていましたが、私たち疎開者は麦めしでした。哀しい思いをするのが嫌だったので自宅に帰って食べていました。
終戦から30年後に、当時住んでいた場所へ兄と行きました。だいぶ様変わりし、通っていた小学校は残っていましたが、自宅はコンビニになっていました。子煩悩だった父に連れていってもらった麻布十番のにぎやかな祭りや、母が飾ってくれた雛人形、氷川神社でお祝いをしてもらった七五三の写真などの思い出の品は空襲で焼かれてしまいましたが、頭の中ではしっかりと覚えています。
私は、空襲によって思い出の品すべてがなくなってしまいました。大切な命を失った人もたくさんいます。戦争は絶対にあってはなりません。どうか平和な時代が続きますようにと願うばかりです。

横須賀市在住斉藤 愛子